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野山放浪観光編南木曽・妻籠 |
南木曽岳登山に先立ち、中央アルプスや妻籠を訪れた。 ■前々々夜祭編 八王子駅に到着したスーパーあずさ13号の車内で今回のパートナーのINさんと合流し、岡谷へ向かった。酒飲みで知られるINさんは既に1000mlのビールを消化していた。岡谷からは21:21発の飯田行きに乗り換える。INさんはウイスキーをちびちびやりながらボックス席で相席となった地元の婦人と話し込んでいる。やがて駒ヶ根に到着(22:21)。ここで降り立った山ヤは、我々2人ともう一人(A氏)だけであった。そのA氏は、翌日開催される労山会の雪崩講習会に参加すべく、駒ヶ根駅で夜を明かすとのことであった。3人で寝床を探す事になるが駅は23:30で閉まるため、駅の外で寝床を探さなければならなかった。駅の軒下に適当な場所があったので、そこにテントを張り、3人で潜り込んだ。2〜3人用のテントではあるが、3人でも余裕で入ることが出来た。ザック類はテントの外に放り投げている。話し込んでいるうちに駅の照明も消えたので、眠ることにする。 駅前のバス停から8:00始発のしらび平行きのバスに乗る。車内はがらがらである。山道を揺られながらいつの間にか眠ってしまい、気がついたらしらび平へ着いていた。降りるときに乗車賃の他に荷物料500円を取られる。 9時始発のロープウエイは満員であった。ほとんどがその労山会の講習のメンバーのようだ。あっという間に標高2611mの千畳敷に到着。気温は氷点下12度。ときおり小雪が舞う天候で、ガスっていて稜線は見えない。雪崩に関する注意報等は出ていないようだ。登山届けを提出し、装備を準備する。コースは極楽平経由宝剣岳のピストンで、装備は必要最低限の軽量装備となった。 ロープウエイ駅を出て右手は雪崩で有名な千畳敷のトラバースコースであるが、極楽平へは左手のコースとなる。すでに100mほど先を3人組がラッセルしているのが見える。カンジキを着けいよいよ我々もその3人組のトレースを追っていく。INさん曰く、ちょっとコースが違うなぁということで、彼らのルートを離れ左手へ登っていく。初めは膝上ほどの雪であったが、稜線に近づくに連れ、胸ほどのラッセルとなる。
◆記録(2/12) 8:00 駒ヶ根発(バス) 9:00 しらび平発(ロープウエイ) 9:40 登山開始 11:00 敗退開始 12:50 千畳敷発(ロープウエイ) 13:10 しらび平発(バス) 14:17 駒ヶ根発(JR) 15:19 岡谷着 15:24 岡谷発(JR) 15:33 塩尻着 15:45 塩尻発(しなの22号) 16:36 南木曽着 ■前々夜祭編 駒ヶ根から南木曽までは、列車の数がかなり少ないが、2時間すこしと、かなりスムーズな連絡で来ることが出来た。駅に着いてからの最初の仕事は今夜の宿を確保することだ。南木曽駅の観光案内所は閉まっていたが、向かいのタクシー案内所にも観光案内所があった。そこで空いている民宿を探してもらったところ、妻籠の「大吉」を紹介してくれた。 妻籠は慶長6年(1601年)に江戸幕府により「宿駅」が定められ、江戸から42番目の宿場として整備された。昭和43年からの歴史的町並み保存事業により、宿場の景観をよみがえらせ、51年には国の重要伝統的建造物群保存地区第1号に選定されている。
食事中、宿の女将と山のはなしをしていると、隣に座った客の夫婦の旦那も昔バリバリの山ヤだったようだ。昔の山岳会や装備の話しになり、僕はさっぱりわからず稲葉さんにまかせる。その夫婦(鈴村姓)の4人の子供の名は、穂高、前穂、奥穂、西穂というらしく、一同唖然とする。その子供は小学生に入るころ、名前がいやで泣いたそうだ。 食事が終わりかけたころ、地元の仲間Yさんが宿を訪問してくれた。仕事着のままでお疲れの所申し訳ないです。僕は8ヶ月ぶりの再会で、INさんとは初対面であった。場所を部屋に移し、しばらく歓談。 翌朝は7時に起床。朝食のあと妻籠の町並みを散歩した。町は雪景色で、観光客もほとんどいなかったので、落ち着いて昔ながらの宿場の景観を楽しむことができた。 【妻籠のギンモクセイ】 長野県天然記念物 昭和43年3月21日指定 最も東にあるモクセイの巨木だという。 【妻籠宿場町】 宿に戻るとちょうどいいタイミングでYさんが車で迎えに来てくれた。妻籠をあとにし、南木曽駅前の喫茶店「石川」に向かう。この喫茶店の窓からは南木曽岳が正面に見える。店のマスターも山ヤだそうだ。
◆参考 南木曽町ホームページ http://www.nagiso-town.ne.jp/ Camera:CANON Power Shot A5 |
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